中国から日本に 中日尺八史話
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三、 現代:私と山川宗玄、和田哲夫、神崎憲

1999年11月25日の夜、杭州世界貿易センター大酒店で行われた日本尺八参拝団の歓迎パーティーで、団長である興国寺現住職山川宗玄老師が訪中のいきさつを述べた。2年前に興国寺の寺宝を整理したとき、700年の歴史をもつ開山法燈国師の国宝級の木像を開山堂に移そうとすると、先師の左頬にほとんど目につかない程度の傷があることに気づいた。それを修復しようとすると、像の体内から先師が南宋から持ち帰った経典が多数発見された。そのことに驚いた山川老師は杭州護国寺の跡地を見つけて祖跡を巡拝し、護国寺に参拝しようと強く発心した。そして昨年の秋、老師の友人である東洋大学の文学博士小島岱山が、浙江省旅游局の何思遠によって杭州護国寺の跡地が明らかにされたことを老師に伝えた。それを聞いた老師は、「それはまさに仏教のいう因縁時節ですね。興国寺と護国寺が法眷を再び結ぶ時期が到来しました。」 そんな不思議なことが世の中にはあるものだろうか。
二年前といえば、ちょうど私は論文を書き始めたころではないか。1997年5月から私は尺八の歴史を調べ始め、1998年7月に論文を仕上げた。そしてそのことを友人の何思遠に伝え、また彼は杭州に訪れていた小島岱山に伝えた。それから小島岱山が帰国後、「中外日報」で護国寺のことを発表した後、山川老師にそのことを伝えたのである。私が不思議に思うのは、山川老師が杭州護国寺の跡地を確認しようと思ったときが、ちょうど私が護国寺を研究し始めた頃であるということだ。一人は日本、一人は中国。なぜ期せずして同じことを発想したのだろうか。これはもう奇縁というしかない。山川老師は先祖覚心の坐像を運んだときに、私の心弦を鳴らしたのだろうか。私は唯物論者だが、このときばかりは唯心的に思わざるをえなかった。それは仏教でいう縁というものなのだろうか。そのようにして、私の論文を通して山川老師とつながったのである。 その後、老師は二回に渡って杭州に足を運び、護国寺の跡地を確認した上で11月に参拝団を結成することに決めた。

1999年11月26日の午前9時、冬の霧雨の中、杭州市仏教協会兪昶煕会長の案内で、山川宗玄老師が引率する48名の虚無僧姿の参拝団が、尺八を吹きながらゆっくりと祖庭に向かった。古廟の正面では「法燈国師700周年記念」という横断幕を掲げ、また堂内では無文禅師と法燈国師の頂相を掲げて香花灯燭茶菓で荘厳された。浙江省芸術学校の盧竹音校長の参拝団歓迎の言葉では「護国寺の旧跡が我が校内にあるということは、我が校の誇りであります。それは中日両国人民の友好往来の象徴であるため、私たちは旧跡を保護し、護国寺を中日音楽交流の場として大切にしていきたい。」と述べた。引き続き兪会長の言葉では「中日友好往来の長い歴史の間で仏教と音楽文化は固く結ばれ、仏教の東漸によって尺八を含めた芸術が仏教文化として伝わっていきました。700年前、心地覚心が無文慧開と結ばれた師弟の縁、また張参と結ばれた尺八の縁は、700年後の今日に護国寺と興国寺との間に再び結ばれました。」と述べた。最後に、山川宗玄老師は感慨深げに言った「私は心地覚心祖師が開創された護国寺の現住職として、そして祖師の末孫として日中友好に尽力したい。そして興国寺と護国寺はこれから親戚のように往来し、両寺の歴史に新たなる一ページが加えられたらと願っております。」 引き続き堂内で上海から駆けつけた排簫演奏家杜聡氏が、尺八で中国の古曲「満江紅」を演奏した後、日本側の演奏家が「虚鈴」を演奏し、その曲の間に山川老師は祖師方に向かって三拜九拜した。 この日のことはマスメディアにも取り上げられ、11月27日付けの「銭江晩報」では次のように報道された。「尺八をめぐる中日の縁は円成され、700年以上の歴史を持つ日本の尺八はついに祖庭に戻ってきた。」 当時、中国で尺八を吹ける人は、私の知っている範囲では北京音楽学院の張維良教授と、上海歌舞団の杜聡氏の二人だけだった。まして杭州では尺八を演奏できる人は一人もいなかったので、いつか尺八の故郷である杭州でも演奏できる人が出てくればと私は願っていた。

その願いが通じたのか、参拝団の一人、日本琴古流相邑会和田哲夫会長が、杭州では尺八を吹ける人がまだいないということを聞いて、尺八の故郷杭州で演奏者を養成するために講義を開くことを、神崎憲氏(尺八愛好家であり、中国通の通訳)を通して私に伝えてくれた。そして2000年5月25日〜27日に和田哲夫会長と神崎憲氏が、杭州天目琴行で中日両国の歴史上初めての尺八講習会を開いた。70才という高齢にもかかわらず、和田会長は自ら教材を作り、テープを録音し、しかも50万円で特注した尺八を杭州の五名の生徒に配った。この五名は基本がしっかりしており、稽古も非常にまじめで、二日間で尺八の基本演奏法を身につけてしまい、700年間にわたって日本に伝わる名曲「虚鈴」をも吹けるようになった。そして5月26日の夜、天目琴行で講習会のメンバーによる中日尺八交流音楽会を催し、私は笛の大家の趙松庭先生を招待した。趙先生が杭州の学生による虚鈴の演奏を聴き終わると、嬉しそうに笑って和田先生の手を握り、「ありがとうございました。尺八はついに
故郷に戻ってきました。」と言った。
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