中国から日本に 中日尺八史話
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尺八の縁       孫以誠

美しい西湖の湖畔の花園北村という団地に、76歳の笛の大家趙松庭先生が住んでいる。1995年5月のある日、先生は私にご自宅で尺八をめぐる物語を聞かせて下さった。 1992年春節、ある雪が舞い踊る日に、福井県勝田市の72歳の医学博士斎藤孝介氏と随行の青年作家が杭州市宗教局の趙一新氏の案内で、浙江省の校内にある古廟の前にやってきた。趙氏は斎藤博士に、ここは南宋時代、日本の留学僧が仏教を学びに来た杭州護国仁王禅寺の旧跡だと教えると、博士は大変感動しておもむろに布袋から黒い艷を放つ古い尺八を取り出し、古廟の扉に向かい、雪の積もった地面に正座して厳粛に幽玄な曲を吹き始めた。一曲が終わると彼は周りの人に「この尺八も今私が吹いた曲もみな南宋時代、日本人が杭州護国寺に参禅した時に、中国人に学んで持ち帰ったものです。そこで今回私はわざわざ護国寺に参拝しに来たのです。」と言った。 この物語のあと、引き続き趙松庭先生は私に次のように言われた。「尺八の名は唐の時代に登場したものである。貞観3年(629)に唐の太宗が新たに楽律を定めるため、楽律に精通する人物を探すように命じた。すると、中書令温彦博と侍中王圭、及び魏徴らが呂才を強く推薦した。呂才は聡明有能で楽律に精通しており、衆望に違わず一尺八寸の管楽器を標準楽器とし、名づけて『尺八』とした。その時から音楽史上初めて尺八という名前が登場した。そしてまたたく間に唐から日本へ伝わり、今でも日本には伝わっているが、おかしいことに中国では南宋以降徐々に衰微し、ほとんど廃れてしまった。」そして感慨深げに言われた。「もともと中国の民族楽器が日本で花開き、根をおろしたが、いつまたふるさとの中国に戻って来るだろうか。」 その物語に感動した私は、尺八をめぐる一年間の調査を開始した。
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